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ツール・ド・台湾に向けた監督や主要選手のインタビュー記事が掲載!

2017年03月26日

サイクルスポーツ.jpにツール・ド・台湾に向けた福島晋一監督、内間康平、小林海のインタビューが掲載されています!ぜひ、お読みください。

http://www.cyclesports.jp/depot/detail/76951

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小林海の記事がスペイン大手メディアに掲載

2017年02月09日

スペイン人の父をもつ小林海を紹介する記事がスペインの大手メディアに掲載されました。自転車競技を始めたきっかけから、プロになるまでのエピソードがドラマチックに綴られた記事です。

http://www.ciclismoafondo.es/blogs/rafa-simon/articulo/marino-kobayashi-dragon


記事の一部、日本語意訳。

小林海; ドラゴンの未来

(略)ー 練習コースとしていた荒川では、日本の “サムライ” 新城幸也に会い、一緒にトレーニングをすることもあったが、マリノを自転車競技に引き込んだのは、スペイン人選手、セルヒオ・パルディージャだった。2009年、父と一緒にツアー・オブ・ジャパン最終ステージを見に行ったときのこと。他の日本人とは異なり、スペイン語で記念撮影を頼む幼い男の子に、大会勝者であるパルディージャは驚かされた。そしてマリノはプロの自転車選手になりたいと話し、パルディージャは「悔いを残してはいけない。あとで悔やむようなことはしてはいけないんだ」と話した。

ー(略)ー

そして数年が経ち、パルディージャの言葉を胸に、マリノはカンタブリア地方に拠点を移し、バスク地方アマチュアチームに加入し、現地のレースを転戦した。しかし、新しい挑戦は多くの苦痛を伴うものだった。日本のレースでは簡単に集団に付いていけたが、ここではすべてのレベルがとても高く、うまくいかないことばかりだった。諦めて日本に帰るという決断をすることは容易かった。

しかし、マリノはスペインでの挑戦を止めず、バスクのチームの解散が、マリノを名門アマチュアチーム・パウリーニョとの2年間の契約へと導いた。2年という期間はプロになるためには十分な期間だと考え、懸命に走った。2年目になるとU23の日本ナショナルチームにも招集され、イタリアやフランス、フランドル地方のレースにも参戦した。そして、ステップアップのためのカギは日本にあると強く感じるようになった。

昨年の夏、3年間のスペインでの経験を見せるべく、全日本選手権に出場した。そこにはライバルといえる選手はいなく、レースをリードしたうえで勝利した。圧勝だった。

そして、出国を前に大切な友人から、プレゼントを受け取った。日本の国旗をモチーフにしたペイントが施された特別なヘルメットだった。「これがあれば、マリノのルーツである日本の心を忘れないだろう?」と友人は話した。でも、もっとも大切なのは、ヘルメットのトップに描かれているドラゴンの絵だった。日本では願いを叶えると信じられている生き物だ。友人は、このヘルメットに幸運と強さを願った。こうして、新城幸也以来となるU23ロードダブルチャンピオンは誕生した。

しかし最高の瞬間が訪れるのはこれからだった。しばらくして日系のトップチームであるNIPPO・ヴィーニファンティーニの大門監督がマリノとのトレーニー契約に興味を示した。大門監督は「トレーニーに関心があれば、イタリアに来て8月から走ってみないか? チャンスを生かしてみないか?」と声をかけ、マリノも即答した。しかし、1点だけ、マリノからの要望があった。ー特別なヘルメットでレースを走ることを認めてほしい、と。

マリノのトレーニーとしてのプロデビューは、スペインでのブエルタ・ア・ブルゴスだった。もっとも期待された瞬間が訪れたのは第4ステージのこと。厳しい暑さに見舞われたカスティーリャ・イ・レオン地方、4名のプロ選手たちの息使いのなかにマリノはいた。逃げに乗り、苦しさを感じながらも、プロ選手たちに混ざり、一漕ぎ一漕ぎペダルを漕ぐことが楽しくもあった。ドライオアシス、テレビカメラを積んだヘリコプターの影…そのとき、乾いた大地のなかで苦しみながら走るマリノは特別な力を感じていた。まるでドラゴンに導かれているようだった。そして、その走りはプロのレベルに到達していることを示していた。ー(略)